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2011年3月11日金曜日のお昼頃、TLは平和で一杯だった。

ひとり、胃に穴の開きそうなクマデジさんを除いては。

まさかこのツイートから三時間もたたないうちに大事件が起こるとはだれも思いもしなかった。

午後2時46分、私は都心の職場、築浅の頑丈な建物の2階にある自席で職場のメンバーと雑談をしていた。揺れは立っていられないほどではなかったが、かなり長時間続き、本能的に物につかまりたくなる感じはあった。この建物でこんなに揺れるとは。

しかし、机の上の物は全く落ちることなく、被害はゼロ。堅牢な建物のせいか、身の危険を感じることはなかった。しかし、場所や建物によってはきっと大変だったのではないだろうか。現に栃木公国では

携帯はもちろん固定電話もつながらないので、ツマにメールをしてみた。ネットは普通につながった。が、返事は来ない。

あとで聞いたはなしでは、全員建物から避難していたからメール見られなかっただけのようである。それに比べると私の職場は誰も避難せず、みんな平常営業。黙々と仕事を続けていた。

特に電車が止まって帰れないことが確定した人は徹夜で仕事するか的な感じで・・・

一方、会議で都心に出てきていたクマデジさんは

まだ会議やってんのか…

夕暮れ、仕事が一段落したところで、自宅への徒歩ルートをいくつも開拓済みの私はそろそろ帰宅の準備。

iPhoneは通話はできないけどなぜかネットはいつも通りの速度でつながっていた。これはかなりの安心感につながった。

そして途中で夕食、牛丼並。混雑はしていたけれどいつも通り営業していたのは本当にありがたかった。

国道17号は歩道も車道も大混雑。特に歩道を歩く人の速度が遅くていらいらしたので、巣鴨からとげ抜き地蔵の参道になってる旧中山道へ。

自宅到着前、近所のディスカウントストアではまだ商品は一杯あった。もっと買いだめしてから帰れば良かったよ(笑)

地上から60 mの高層階にある我が家、エレベーターも1基を除いてちゃんと動いていたし、自宅もドア枠のまわりにひびが入っていたけど、それ以外はほぼ無傷。自分自身の実感としては電車が止まってしまったこと以外はほぼ日常通りという感じ。そのせいもあって、テレビで見る大洪水やコンビナートの大火災が現実のものとはなかなか受け止められませんでした。

一方、九州にお住まいなのに、こういうタイミングで東京にご出張だった方も。

災難というのはいつ起こるのか本当にわからないものです…

あと、

私も「家族を守れるのは私だけだし。」とかヒーローっぽいことが言える人になりたかったです。

 

さて、いま行政では災害時に無理に帰宅しないことを奨励している。そのために各所に帰宅困難者の受け入れ準備をするように話し合いが進んでいるようだ。確かに歩道も車道も大渋滞の現実を見るとそうせざるを得ないだろう。歩道を歩く人が途切れないため、信号機のない交差点で脇道に入るクルマが動けず、信号機があっても1回の信号で曲がれるクルマはほんの2,3台。クルマがほとんど動かないのは当然である。

今回の地震は震源が東京から遠く離れていて東京の揺れ方はそれほどひどくなかったため、裏道を歩いての帰宅にほとんど危険がないと判断して私は裏道で帰ってきたけれど、本来細い裏道を歩くと余震による建物の崩壊や火災から逃げられないのでなるべく通ってはいけない。まあ、大通りの歩道でもビルの上階からガラスの破片が降ってくることだって大いに考えられる。首都直下で大地震があった時は移動は厳禁であろう。

とはいえ、心情的には家族に一秒でも早く会いたいだろうし、自宅の様子だって気になる(まあ、自宅は早く見たからといってどうなるものでもないけどw)。そこのところはどうしたものかなあ。ネットで家族の状況確認ができても安心できるわけではないし、そもそも首都直下地震の場合には電気とすべての通信手段が途絶える可能性もあるしねえ。

そして単身赴任となった今、心配は倍増。しっかりとした備蓄と安否確認方法を再確認することくらいしかできないけど、最低限それくらいはやらないとね…なくなられた大勢の方の死を無駄にしないためにも。

時折陽もさす穏やかな日曜日。平和な日々を送れることに感謝しつつ、一年前に思いを馳せる午後でした。さあ、明日は月曜日、明日からもがんばりましょうか。